麻生太郎氏の後継者として注目を集めるのが、長男・麻生将豊さんです。
すでに政財界でも存在感を放っており、将来的な政界入りも噂されています。
この記事では、そんな麻生将豊さんの学歴や経歴にまとめていきます。

麻生太郎の息子・麻生将豊のプロフィール

名前:麻生 将豊(あそう まさひろ)
生年月日:1984年12月29日
出身地:福岡県飯塚市
将豊さんは、炭鉱王の流れをくむ麻生家に生まれた一人息子であり、いわば政財界のサラブレッド。
名前の「将豊(まさひろ)」には、『将来を豊かに切り拓く人物』になってほしいという思いが込められているとも言われています。
将豊さんは、小学3年生のときに福岡から東京へ転居しています。
それまで住んでいた飯塚の自宅は、なんと約2500平方メートルという圧巻の広さ。

サッカーや野球はもちろん、自宅で運動会もできそうなスケールです。
東京に移ってからは、麻生家が所有する都内の高級住宅街・渋谷区松濤にある邸宅で暮らしていたとされ、まさに選ばれし者の育ちといえるでしょう。
麻生太郎の息子・将豊の学歴
麻生将豊さんの学歴は 、以下のとおりです。
小学校:飯塚市内の小学校→慶應義塾幼稚舎
中学校:慶應義塾中等部
高校:慶應義塾高等学校
大学:慶応義塾大学
ウィリアム・ジュエル大学
詳しくみていきましょう。
福岡の小学校から慶應義塾幼稚舎へ転校
将豊さんは、地元・福岡県飯塚市の公立小学校に通っていましたが、小学3年生のときに東京へ引っ越し。
そこで、慶應義塾幼稚舎に編入します。

幼稚舎は、慶應義塾の初等教育機関であり、倍率10倍以上とも言われる狭き門。
編入組の受け入れ枠は限られており、将豊さんがそこに入れたこと自体が、学力や家庭環境の水準を物語っています。
慶應中等部・高等部・大学と内部進学

幼稚舎卒業後は、中等部・高等部・大学とすべて慶應義塾で内部進学しています。
内部生といえども、成績や素行、出席率などの基準を満たさなければ進級できないのが慶應の方針です。
父・麻生太郎氏の存在もあり、周囲の目も厳しかったはずですが、特に問題なく大学へ進学。
この時点ですでに「政治家の器」を見られていたのかもしれません。
成績が悪いと進学できません。
将豊さんが通っていたのは、慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパス(SFC)だとされています。

専攻は公表されていませんが、湘南藤沢キャンパスには3つの学部があります。
環境情報学部
総合政策学部
看護医療学部
まさひろさんが看護医療学部とは考えにくので、環境情報学部または総合政策学部のどちらかと見られます。
大学時代はバンドのボーカルを務め、渋谷の自宅で100人規模のパーティーを開いたこともあるそうです。
さらに、「有限会社シーリンク」というネットベンチャーを立ち上げ、ドワンゴの開発プロジェクトにも参加。
学生にして起業し、しかも一部上場企業のプロジェクトに関わるというのは、まさに只者ではありません。
アメリカ・ウィリアム・ジュエル・カレッジへ留学

慶應大学卒業後は、アメリカ・ミズーリ州にあるウィリアム・ジュエル・カレッジに留学。
学生数1200人前後の小規模大学で、教授との距離が近く対話重視の教育が特徴とされています。
この留学期間中には、父・麻生太郎氏の選挙を手伝うために一時帰国。
現地の学びだけでなく、政治の現場にも早くから触れていたことがわかります。

国内最難関の一貫校である慶應を貫き、さらに留学・起業まで経験するなど、将豊さんの学歴には「将来を見据えた設計図」が感じられます。
麻生将豊の経歴
麻生将豊さんの経歴は、以下のとおりです。
2005年:有限会社シーリンク創立
2012年:トヨタ自動車九州株式会社に入社
2014年:株式会社麻生に入社
2014年:株式会社麻生の監査役に就任
2015年:株式会社麻生の取締役に就任
2018年:麻生商事株式会社取締役社長就任
2023年:日本青年会議所会頭就任
詳しく見ていきます!
ネットベンチャー「シーリンク」設立とドワンゴ参加
将豊さんは慶應大学在学中の2005年、友人と共にネットベンチャー「有限会社シーリンク」を設立。
この会社は、ニコニコ動画を運営するドワンゴの開発プロジェクト「ニワンゴ」にも参加していた実績があります。


現在は「株式会社エクストーン」という社名で存続していますが、将豊さんの名前は現在の取締役一覧には確認できません。
創業メンバーとして立ち上げに関わった実績はあるものの、現在は経営から退いている可能性があります。
とはいえ、学生時代にITベンチャーを起業し、ドワンゴのプロジェクトに携わった経験は、若手政治家として異色の強みと言えるでしょう。
IT分野に強いというのは、若い世代の政治家として大きな強みになるでしょう。
トヨタ自動車九州


大学卒業後、アメリカ留学を経て帰国した将豊さんは、2012年にトヨタ自動車九州に就職。
ここでは生産管理の職に就き、2年間ほど現場での経験を積みました。
「麻生グループの御曹司」という立場にありながら、あえて大企業で一般社員として働いたのは、経営の現場感覚を磨くためだったのかもしれません。
家業「株式会社麻生」へ入社し、数年で社長就任


2014年、将豊さんは家業である株式会社麻生に入社。
すぐに監査役に就任し、翌年には取締役、そして2018年には麻生商事株式会社の代表取締役社長へ。
麻生グループは、学校法人や病院経営、建設資材、ゴルフ場、飲食業など104社を束ねる巨大企業。
そのトップを30代で任されたという事実だけでも、社内外からの期待の大きさがうかがえます。
日本青年会議所の会頭に就任し“麻生二世”本格化?


2023年、将豊さんは日本青年会議所(JCI)の第72代会頭に選出されました。
この団体は、全国の20歳〜40歳の若手経済人・起業家らが社会貢献活動を行う組織で、父・麻生太郎氏も第27代会頭を務めたことで知られています。
父と同じポジションに立ったことで、いよいよ本格的な政界進出へのカウントダウンが始まったとも言われています。



実業の世界で順調にキャリアを積み重ね、父親と同じポジションにも立った将豊さん。もはや政界入り待ったなしの雰囲気が漂っています。
麻生将豊は本当に麻生太郎の後継者なのか?


父・麻生太郎氏は高齢となり、引退説がささやかれる中で「息子・将豊が後継者になるのでは?」という声が高まっています。
しかし、2023年の青年会議所会頭就任や、地元・福岡でのイベント登壇など、地固めと見られる動きが複数見られています。
また、将豊さんのSNSやメディア露出も徐々に増えており、「誰の目にも後継者」といえる状況です。
また、将豊さんの妻・優里子さんの実家は福岡県北九州市で内科クリニックを経営。
この一族もまた地元では名士として知られており、麻生家との結びつきは盤石な地盤を形成しています。
さらに、父・麻生太郎氏の盟友である福岡県議・中村明彦氏の夫人が、将豊さんと優里子さんを引き合わせた「仲人役」だったこともあり、政界・医療界・経済界の結びつきが非常に強固です。



政界デビューに必要な“知名度・実績・地盤”の三拍子がそろっている将豊さん。
あとは、本人がいつその一歩を踏み出すかだけかもしれません。


麻生太郎の息子・麻生将豊に関するよくあるQ&A集
読者からよく寄せられる「麻生将豊さん」に関する質問をQ&A形式でまとめました。
今後の政界進出の有無や、現在の仕事についても一緒に確認しておきましょう。
- 麻生将豊さんは政治家になる予定はある?
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明言はされていませんが、2023年に日本青年会議所の会頭に就任し、地元・福岡での存在感も高まっています。
父・麻生太郎氏が高齢であることから、「後継者」としての期待は確実に高まっており、政界入りは“時間の問題”と見る声もあります。 - 将豊さんはどんな学歴を持っていますか?
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幼少期は福岡で過ごしたのち、慶應義塾幼稚舎に転入。
そのままエスカレーター式で中等部・高校・大学へと進学し、慶應大学では湘南藤沢キャンパスに通っていたとされます。
卒業後はアメリカのウィリアム・ジュエル・カレッジへ留学も経験しています。 - 学生時代に起業していたって本当?
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本当です。大学在学中にネットベンチャー「シーリンク(現エクストーン)」を創業し、ドワンゴのプロジェクトにも関わっていました。
すでに経営からは退いていると見られますが、若くして起業した実績は将豊さんの大きな財産になっています。 - 現在はどの会社で働いていますか?
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家業である麻生グループに入り、2018年には麻生商事株式会社の代表取締役社長に就任しています。
さらに2023年には日本青年会議所の会頭に選ばれ、政財界の若手リーダーとして注目されています。 - 将豊さんの性格や人柄は?
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大学時代には渋谷の自宅で100人規模のパーティを開催するほどの社交性の持ち主です。
バンドでボーカルを務めていた経験もあり、陽気でフレンドリーな性格といわれています。
同時にトヨタや青年会議所での実務経験から、リーダーとしての責任感も兼ね備えている印象です。
まとめ
麻生太郎さんの息子、麻生将豊さんの学歴や経歴についてお伝えしました。
将豊さんは、慶應一貫の学歴とアメリカ留学、そして学生起業や実業界での実績を兼ね備えた注目の存在です。
現在は麻生グループの社長を務める一方で、青年会議所の会頭も経験し、次世代リーダーとしての道を着実に歩んでます。
政界入りが噂される中、その動向からますます目が離せませんね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。



