公認会計士として活動し、東京都議会議員も務めたさとうさおり氏。
その一方で、本人は幼少期について「極貧だった」と語っています。

どのような家庭で育ち、なぜ15歳から働いていたのでしょうか。
実はさとう氏は、貧しい家庭で育ち、高校卒業後に働きながら公認会計士を目指しました。
この記事では、本人が語るリアルな貧乏エピソード5選と、そこから生まれたさとう氏の強い信念を紹介します。
- さとうさおり氏が語った貧乏エピソード
- 看護学校への進学を諦めた理由や15歳での出稼ぎ
- 高卒から公認会計士になるまでの経歴
どれかひとつでも気になった方は、ぜひ最後までチェックしてみてください!

さとうさおり氏の貧乏エピソード5選

さとうさおり氏は公認会計士として活動する一方、幼少期について「極貧だった」と自ら語っています。
どれも、さとう氏がどんな環境から努力を積み重ねてきたのかを物語る、リアルな体験ばかりです。
1. 4人兄弟の次女として極貧の家庭に生まれる
2. 交通費が払えず看護学校への進学を断念
3. 15歳で東京へ出稼ぎ
4. 高校卒業後すぐ就職し、バイトを掛け持ちして家計を支える日々
5. 特発性過眠症と闘いながら公認会計士試験に合格
ここでは、さとう氏が実際に明かした印象的な貧乏エピソードを5つご紹介します。
どれも、さとう氏がどんな環境から努力を積み重ねてきたのかを物語る、リアルな体験ばかりです。
1. 4人兄弟の次女として極貧の家庭に生まれる

4人兄弟の次女として生まれたさとうさおり氏。
父は自営業、母は介護士として働いていましたが、家庭の年収は200万円ほどだったと語っています。
家の中にはネズミが走り、食事のために海で貝を採ったり、山でキノコを採ったりすることもあったそうです。
本人は当時について、「生きるために工夫するのが当たり前だった」と振り返っています。
2. 交通費が払えず看護学校への進学を断念

高校は看護学校に進学を希望していましたが、

通学費が払えなかった
と語っています。
自宅から看護学校まで30キロ以上離れており、バス代が払えなかったんだとか。
結果として、徒歩で通える距離の公立高校に進学することを選択しています。
本人は「防衛医科大学校からスカウトされた」と語っています。

授業料や入学金が無料で、毎月の手当も支給される制度に魅力を感じたといいます。
しかし、身体検査で体重が足りないという理由で受験を断念。

学力じゃなくて体重が足りなかった
と、本人は当時を振り返っています。
3. 15歳で東京へ出稼ぎ!

高校時代のさとうさおり氏は、家計を助けるためにアルバイトを掛け持ちしていました。
地元・茨城ではガソリンスタンドやコンビニの時給はわずか700円ほど。

これじゃ生活できない
と考えた彼女は、なんと15歳で東京へ出稼ぎに行く決意をします。
東京では、イベントのような仕事にも参加していたと語っています。
本人によると、島田紳助さんと明石家さんまさんを模した設定で、2人組のトークショーを行う仕事だったそうです。
2週間に1度ほど、2〜3時間出演し、報酬は5,000円だったと語っています。
ネタを考え笑いを取る、まさに即興と根性の世界です。
4. 高校卒業後すぐ就職し、バイトを掛け持ちして家計を支える日々

高校卒業後は大学へ進学せず、就職し正社員として働きながら、アルバイトも掛け持ちしていたと語っています。
そんな過酷な環境の中で、家族を支える責任を背負っていました。
5. 特発性過眠症と闘いながら公認会計士試験に合格

さとうさおり氏は、公認会計士試験の勉強期間中に特発性過眠症を発症したと公表しています。
強い眠気があり、勉強中にも眠ってしまうことがあったそうです。
そこで、「50分勉強して10分寝る」という方法を取り入れながら学習を継続。
23歳頃から公認会計士を目指し、26歳で試験に合格しました。
高校卒業後から公認会計士、政治家になるまでの詳しい経歴は、さとうさおり氏の学歴・経歴をまとめた記事で紹介しています。

まとめ
さとうさおり氏は、4人兄弟の次女として育ち、家庭の年収は200万円ほどだったと語っています。
高校時代からアルバイトをし、高校卒業後は就職。23歳頃から公認会計士を目指し、26歳で試験に合格しました。
看護学校への進学断念や15歳での出稼ぎなど、本人の発信からは当時の厳しい生活状況がうかがえます。



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