2021年、43歳という若さで兵庫県知事に就任し注目を集めた斎藤元彦氏。
そのさわやかな見た目とスマートな立ち振る舞いから、「エリート感がすごい」と話題になることも多い人物です。
そんな斎藤元彦氏がどんな高校を卒業してきたのか、気になる方も多いのではないでしょうか。
この記事では、斎藤元彦氏の高校時代について、詳しくまとめていきます!

斎藤元彦の学歴

まずは簡単に、斎藤元彦氏の学歴をまとめてみましょう。
小学校:神戸市立若宮小学校(兵庫県)
中学校:愛光中学校(愛媛県/偏差値65〜70)
高 校:愛光高等学校(愛媛県/偏差値75)
大 学:東京大学 経済学部(偏差値67.5〜72.5)
斉藤氏は中学受験で地元神戸の志望校に落ちたことをきっかけに、愛媛県の中高一貫校「愛光学園」に進学。
小学生の頃から親元を離れ、6年間の寮生活を送りながら東大合格を果たしたという努力の人でもあります。
この中でも特に注目されているのが、偏差値75を誇る超進学校・愛光高等学校です。
なぜ彼は愛媛の高校を選んだのか? どんな高校生活を送っていたのか?
次のセクションで、詳しく見ていきます!
斎藤元彦の出身高校は愛光学園高等学校

斎藤元彦氏が卒業した高校は、愛媛県松山市にある愛光学園高等学校です。
愛光学園は、東京大学や京都大学への合格者を多数輩出していることで知られ、毎年のように全国模試でも上位にランクインしています。
特に高校の偏差値は75とされ、全国でもトップクラスの学力水準を誇ります。
偏差値75!超難関校・愛光高校の実績

愛光高等学校は1953年に創立されたカトリック系の進学校です。
設立当初は男子校でしたが、2002年度から共学に移行。
斎藤元彦氏が通っていた当時は、男子校かつ寮生活が必須の時代でした。
全国の優秀な中学生たちが進学を目指し、合格を勝ち取るのは至難の業。
特に灘や開成と同じレベルを志す生徒たちが併願校として受験することも多く、実力勝負の名門校として知られています。
毎年、東大合格者数も毎年20〜30名程度
京大や国公立医学部への進学者も多数
受験エリートの登竜門ともいえる存在ですね。

偏差値75って、全国でも上位1〜2%くらいのレベル…。本当にガチの進学校なんだね!
なぜ神戸から愛媛の高校?
斎藤氏は兵庫県神戸市の出身で、第一志望は地元の六甲学院中学校だったといわれています。
しかし結果は不合格…
それでも中学受験をあきらめず、挑戦したのが愛媛県松山市にある愛光中学校。
ここで合格を勝ち取り、中高一貫での6年間の寮生活がスタートしました。


地元を離れての進学は、当時の小学生にとって大きな決断だったはず。
それでも学びの場を選び取り、自ら環境を変えていった斎藤さんの芯の強さが伝わってきますね。



たった12歳で親元を離れる決断…。この経験が、後のリーダーシップに繋がったのかもしれないね!
高校2年で寮長!


愛光高校では、寮に住む生徒の数は約800人にも及びます。
その中で、斎藤氏は高校2年生で「寮長」という重要な役割を任されていたのです。
同級生からは



穏やかで、よく人の話を聞いてくれた



俳優の高倉健さんみたいだった
との声も。
生徒たちをまとめる経験が、後の政治家としての器を養ったのかもしれません。
ちなみに斎藤さん自身は、当時の6年間を「大変だったけど、本当に楽しかった」と語っています。



人をまとめるって大人でも難しいのに…高校2年でそれができるなんてすごすぎる。
偏差値75の愛光学園はどんな高校?
斎藤元彦氏が通っていた愛光学園高等学校は、愛媛県松山市にある私立の中高一貫校です。
1953年に創立されたカトリック系の男子校で、2002年から共学化されました。
特徴は何と言っても、全国屈指の進学実績。
偏差値75という数字が物語る通り、毎年多くの生徒が東大・京大・国公立医学部など難関大学に進学しています。
特に、灘中・ラ・サール中と並ぶ「西の御三家」として知られ、全国から秀才が集まってきます。
東京大学・京都大学にバンバン合格!?


愛光学園の進学実績は、まさに受験エリートの集団。
2024年度の合格実績を例に挙げると…
- 東京大学:25名合格
- 京都大学:30名合格
- 大阪大学、九州大学、神戸大学など難関国公立にも多数進学
- 医学部進学者も毎年60人超
このような数字を見ると、地方校とは思えないほどの圧倒的な学力水準がわかります。
中でも、愛光学園は東大合格者を出す常連校であり、全国模試でも常に上位をキープしているのが特徴です。



関西方面だと灘が有名だけど地方の私立校で、ここまでの合格実績って本当にすごいよね。
愛光学園出身の有名人も多数!
実は、愛光学園からは各界で活躍する著名人も数多く輩出されています。
たとえば…
- ロマン優光(ミュージシャン)
- 杉作J太郎(タレント・漫画家)
- 岡崎太希(アナウンサー)
- 小野晋也(元衆議院議員)
- 塩崎彰久(政治家・元官僚)
- 今井翔馬(アナウンサー)
- 小佐古基史(ハープ奏者)
- 安永竜夫(実業家・元野球選手)
お堅い人ばかりなのかと思いきや、文化・報道・政治・音楽…ジャンルを問わず、幅広い分野で活躍する人物が生まれています。
こうした多彩なOBを見ても、愛光学園が単なる受験校ではなく、人間力を育てる教育をしていることがわかります。



勉強だけじゃなく、社会で活躍する人材を育てる学校なんだね。
斎藤元彦の寮生活で培われた人間力とリーダーシップ
斎藤元彦氏は、高校時代に寮生活を送りながらリーダーとしての素質を磨いていきました。
中高6年間を過ごした愛光学園は、全寮制であることでも知られています。
特に高校2年生のときには、なんと約800人の寮生をまとめる寮長を務めていたそうです。
生徒同士のルールや秩序を保つ立場であり、教師とはまた違った立場で集団を支える役割。
そんな責任ある立場を若くして任されるというのは、人望や信頼があった証とも言えるでしょう。
「高倉健のようだった」同級生が語る斎藤元彦の人柄


当時の同級生は斎藤氏について、



いつも穏やかで、言い訳をしない人。まるで高倉健さんみたいだった。
と語っています。
生徒同士のトラブルや規律の調整を静かに、誠実に対応していたそうで、派手さはないけれど、確実に信頼される存在だったようです。
斎藤氏の現在の落ち着いた印象は、この高校時代にすでに形作られていたのかもしれませんね。



800人をまとめるって、もう小さな市長みたいなもんだよね。高校生でこの経験は貴重すぎる。
「大変だったけど、楽しかった」6年間の寮生活


中学1年生で親元を離れて暮らすことは、多くの人にとって大きなハードルです。
しかし斎藤元彦氏はこの6年間について、インタビューでこう語っています。



「大変だったね」とよく言われるけど、本当に楽しかった。
同級生とは“生涯の友”です。今でも年に数回、神戸で集まっています。
勉強・規則・共同生活といった要素が多い寮生活。
時に衝突もあったと思いますが、それを乗り越えたからこそが、今の政治家としての土台になっているのかもしれませんね。



今でも会うって、よほど強い絆で結ばれてたんだろうね。青春って感じがしてちょっと羨ましい。
まとめ
斎藤元彦氏の出身高校についてお伝えしました。
愛光学園高等学校は、偏差値75という全国屈指の進学校。
受験の挫折を乗り越え、親元を離れて寮生活を送りながら学び続けたその姿勢は、まさに努力と覚悟の賜物です。
高校2年生で寮長に任命され、800人もの寮生をまとめたというエピソードからは、当時から信頼感が育まれていたことがうかがえます。
政治家としての振る舞いにも、高校時代に培われたリーダーシップや共感力が息づいているのかもしれませんね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。



