参政党の代表を務める神谷宗幣氏。
政治家としての活動だけでなく、その出自や家系図についても気になる人が多いようです。
神谷宗幣氏は、自身の家系図をブログで公開したことがあり、それを元にルーツをたどることができます。
この記事では、神谷宗幣氏の家系図や両親の情報、さらには出自や国籍についても詳しく紹介します。

神谷宗幣のプロフィール

名前:神谷 宗幣(かみや そうへい)
生年月日:1977年10月12日
出身地:福井県高浜市
現住所:石川県加賀市
職業:参議院議員(1期目)、参政党代表兼事務局長
学位:法務博士(専門職)、関西大学法科大学院卒
神谷宗幣氏は1977年10月12日、福井県高浜市生まれです。
福井県立若狭高等学校卒業後、関西大学文学部を経て、同大学法科大学院で法務博士を取得。
元食品スーパー店長、高校教師を経験し、2007年に吹田市議会議員に初当選。
2010年には「龍馬プロジェクト」を設立し保守系政治家のネットワークを構築。
2020年に参政党を立ち上げ、2022年参議院選挙で初当選し翌年、党代表に就任。
神谷宗幣の家系図

神谷宗幣さんは2009年12月20日、自身のブログに家系図をアップしました。

私が運営する行政書士事務所のスタッフに神谷家の家系図を作ってもらいました。
そう説明しながら、クリスマスプレゼントとして親へ贈る目的で作成したことを明かしています。
とても見づらいのですが、この家系図からは、神谷氏のルーツが日本人であることが確認できます。
一番下の右側に「宗幣」という名前があり、これが神谷さん本人と思われます。
また、母親の名前は「マユミ」、父親の名前は「助」という情報がありましたが、筆者には「助」に見えないんです…
神谷氏は家系図作成の理由について

自分のルーツや先祖の軌跡を知ることって大切だ
という思いからだと語っています。
「今回は天保までさかのぼって自分のルーツが分かりました」
母方は天保時代から同じ村に続く家柄だったことや、父方は京都の桜井氏につながることも分かったと述べています。
ネット上では



日本人ではなく、韓国や中国の二世、三世では?
という噂も出てきています。
祖父が韓国出身という情報もあるようですが、家系図を見る限りそのような事実はありません。



家系図を見る限り代々、日本の家系だよね
神谷宗幣の父親はスーパーの経営者だった


神谷宗幣氏の父親は一般人のため、詳しいことは明らかにされていません。
「スーパーカミヤ」という食品スーパー(有限会社カミヤストアー)を経営していました。
しかし、神谷氏が25歳のときにスーパーは倒産、その後はタクシー運転手をしていました。
神谷氏自身も、2002年からスーパーに入社し、店長を務めていたことがあります。
経営の立て直しを試みたものの、最終的に閉店となりました。
父親はスーパーの経営経験があったため、食品の取り扱いにも詳しく、料理や日曜大工も得意だったそうです。
ブログで父親の話をした時の画像がこちらです。


父親とは紹介していませんが、内容的にこちらが神谷氏の父親ではないかと推測します。
2015年3月のブログでは「もう親父も70近い」と書いており、2014年のFacebookでは9月12日が父親の誕生日で「66歳」だと明かしています。
したがって、2025年3月時点で父親は76歳となりますね。
選挙活動の際には、父親が街宣カーの運転や看板作りを手伝ってくれたこともありました。


こちらの看板は、神谷氏の父親と仲間で作ってくれたと語っています。



父親は政治家ではなかったので、神谷氏は世襲議員ではないね
神谷宗幣の父親は「生長の家」と関係ある?
ネット上では「神谷宗幣の父親が生長の家の信者ではないか?」という声が見られます。
これは、神谷氏の保守的な思想や演説内容が、生長の家のかつてのスタンスと共通点があると感じる人がいるからかもしれません。
特にX(旧Twitter)や匿名掲示板では「父親が宗教系の影響を受けていたらしい」といった投稿も散見されますが、
「神谷光徳=父親」説を徹底検証


噂の出どころとしてよく名前が挙がるのが「神谷光徳」という人物です。


神谷光徳氏は、建設会社の元副社長であり、生長の家栄える会の名誉会長なども歴任しています。
一部では「神谷宗幣の父親は神谷光徳なのでは?」という憶測も出ていますが、この説には無理があります。
- 神谷光徳氏は1938年(昭和13年)生まれで、2025年時点で87歳前後
- 神谷宗幣氏は2015年のブログで「親父も70近い」と記載 → 父親は当時70歳前後
- 神谷氏の実家は大阪府吹田市のスーパー経営者 → 神谷光徳氏は神奈川県横浜市出身で業種も建設業
以上のことから、神谷光徳氏と神谷宗幣氏の父親は別人と考えるのが妥当です。
「生長の家」とはどんな宗教?


生長の家とは、1930年に創始された新興宗教で、「すべてのものに神性が宿る」とする思想を軸に展開しています。
戦後の保守政治家と親密な関係を築いた過去もありますが、現在は環境思想を重視し、「脱原発」や「護憲」も掲げるリベラル寄りの方針に転換しています。
そのため、神谷氏の政治スタンスとはむしろ方向性が異なっている部分も多いといえるでしょう。
神谷宗幣の思想との共通点・違い
神谷氏の発言には、「自立した国民の育成」や「憲法改正」「国防の強化」といったキーワードが多く見られます。
これらは一部の保守思想や旧・生長の家と重なる面があるため、誤解される原因になった可能性があります。
ただし、実際の生長の家は現在リベラル寄りであり、神谷氏の主張とは一線を画す部分が多いのが現実です。
思想の一部に共通点が見えるからといって、「父親が信者だった」という結論には至りません。



憶測が一人歩きしないよう、冷静な目で事実を見ていくことが大切ですね。
神谷宗幣の母親


神谷氏の母親は「マユミ」さんです。
母親も父親同様、一般人のため名前以外、詳しいことは公開されていません。
選挙の際には事務所の留守番や食事の手配などを担当し、神谷氏をサポートしています。



選挙のたびに一番力を貸してくれるのはやはり家族です
そう語る神谷さんの言葉からは、両親への感謝の気持ちがうかがえます。



家族との強い信頼関係があり、選挙活動を支えてくれる大切な存在だね
神谷宗幣の兄弟は妹が2人


神谷宗幣氏には、2人の妹がいます。
長女は智子さん、次女は枝里子さんというお名前で、どちらも一般の方のため詳しい職業などは公表されていません。
家庭的で仲の良い兄妹関係がうかがえるエピソードも残されています。


とくに印象的なのは、妹さんの子ども、つまり、神谷さんにとって甥っ子とのやりとりです。


最初はなかなか懐いてくれなかったそうですが、ある日一緒にトイザらスへ行き、おもちゃを買ってあげたことをきっかけに、急に距離が縮まったとか。
このエピソードからも、神谷さんのちょっと不器用だけど情に厚いお兄ちゃん気質が伝わってきますね。
また、神谷氏は妹は東京と沖縄にいると語っています。
神谷氏の母親が妹の出産で沖縄に行った時も、「甥っ子もおきくなったかな」と発言しておりトイザらスの甥っ子が沖縄に住んでいる可能性が高そうです。
政治家としての顔とはまた違った、家族思いな一面が垣間見える瞬間です。
神谷宗幣の家系図・出自についてのよくあるQ&A集


神谷宗幣氏の出自や家系について、ネット上で特に多い疑問に答えていきます。
まとめ
神谷宗幣氏の家系図や両親、出自について詳しく解説しました。
1977年に福井県で生まれた神谷氏は、日本の家系であり、ネット上で噂されるような半島系の血筋ではない。
家系図を作成した理由は、「自分のルーツを知ることが大切だ」という思いからでした。
父親は元スーパー経営者で、母親は選挙活動を支える存在。
現在は、妻の奥村ふみさんと3人の子どもに支えられながら政治活動を続けています。
家族の支えがあってこそ、政治家としての活動ができるのだと改めて感じますね。
今後の活躍にも注目です!
最後までご覧いただき、ありがとうございました。





