秋田県出身の猿田和三(さるた かずみ)氏。
幼少期から野球に打ち込み、秋田高校では主将を務め、大学では東京六大学野球で活しました。
その後、秋田県庁に入庁し、地方行政に尽力。
本記事は、猿田氏の学歴や経歴についてまとめていきます。
猿田和三のプロフィール

名前:猿田 和三 (さるた かずみ)
生年月日:1963年4月3日
出身地:秋田県秋田市(豊岩地区)
家族構成:3人兄弟の末っ子(農家の三男)
猿田和三(さるた かずみ)は1963年4月3日生まれの秋田県秋田市出身です。
豊岩という秋田市南西部の田園地帯で育ち、雄物川が流れ太平山を望む環境でした。
幼い頃から野球に親しみ、後に大学野球界で輝かしい成績を残しています。
野球の技術だけでなく、リーダーシップにも優れており、2021年から2024年11月まで秋田県副知事を務めました。
現在は2025年の秋田県知事選への出馬を表明しています。
猿田和三の学歴

猿田和三氏の学歴は以下の通りです。
小学校:秋田市立豊岩小学校
中学校:秋田市立豊岩中学校
高校:秋田県立秋田高等学校
大学:慶應義塾大学法学部政治学科(2浪して入学)
それでは、一つずつ詳しく見ていきましょう!
秋田市立豊岩小学校

猿田氏は秋田市立豊岩小学校に通っていました。
小さい頃から兄とキャッチボールをするようになりました。
小学生の時に一番上の兄が秋田高校が夏の県大会で優勝し、甲子園出場を決めたのです。
スタンドからその瞬間を見ていた猿田氏は、強く感動します。

甲子園に行くってすごいことなんだ
と思い、自分も甲子園を目指そうと決意します。



お兄さんは60歳で他界していますが、今でもヒーローとして尊敬してるんだって!
秋田市立豊岩中学校


中学校は地元の秋田市立豊岩中学校に通いました。
この時代の詳しい記録は残っていませんが、野球に打ち込んでいたことでしょう。
中学を卒業すると、兄と同じユニフォームを着て甲子園に出場したいという思いから、秋田高校を目指します。
受験勉強は大変だったようですが、野球への情熱が彼を支えました。
秋田県立秋田高等学校


猿田氏は兄と同じ秋田県立秋田高等学校に進学します。
秋田高校は「野球学校」と言われるほど、野球に力を入れていました。
高校時代は野球漬けの毎日を送り、硬式野球部では主将を務めました。
1学年下には後にプロ野球で活躍し、現在は参議院議員の石井浩郎さんがいました。


二人で主軸を形成し、チームを引っ張りました。
しかし、残念ながら甲子園出場の夢は叶いませんでした。
高校最後の夏の県大会準々決勝。
同点に追いついた9回2アウト2塁の場面で、猿田さんはフォアボールを選びます。
結果として延長戦で敗れ、甲子園への道は閉ざされました。
この時の悔しさが彼のその後の人生に大きく影響することになります。
慶應義塾大学法学部政治学科


高校卒業後、猿田氏は2年間の浪人を経て慶應義塾大学法学部政治学科に進学します。
大学では野球部に入部し、東京六大学野球の舞台で活躍します。


浪人中のブランクを取り戻そうと必死にトレーニングに励みましたが、練習中に左足首を骨折します。
3年の時には、椎間板ヘルニアが悪化など、怪我に悩まされました。



高校最後の打席で野球人生を終わりにするわけにはいかない
と奮起します。
治療と肉体改造に取り組み、見事に復活を遂げました。
3年次には首位打者を獲得し、慶應野球部の中心選手となります。
1986年の東京六大学秋季リーグでは首位打者とベストナインに選ばれました。
主将を任された4年次の1987年、東京六大学春季リーグで優勝を果たします。


さらに全日本大学野球選手権大会でも優勝し、慶應大学を24年ぶりの日本一に導きました。
同じく2浪して入学した鈴木哲さんや大森剛さんらとチームを引っ張りました。
当時立教大学で4番打者兼主将だった長嶋一茂さんとはタイトル争いを繰り広げます。
長嶋一茂さんは後に「消えた天才」という番組で猿田さんを



人生で衝撃を受けた天才!
と評しています。
1987年には日米大学野球選手権大会の日本代表主将に選ばれます。
古田敦也さん、武田一浩さん、野村謙二郎さんなど、後にプロで活躍する選手たちをまとめました。
アメリカとの最終戦では、1点を追う9回裏2アウト2塁3塁の場面でサヨナラ本塁打を放ちます。
高校時代の後悔を乗り越え、最高の結果を残したのです。



プロ野球ドラフト会議の指名候補にも挙がったけど、プロ野球の道は選ばなかったんだって!
猿田和三の経歴
猿田和三さんの経歴は以下のようになります。
1988年:秋田県庁入庁
2016年:産業集積課長就任
2020年:産業労働部長
2021年~2024年11月:秋田県副知事
詳しく見ていきます!
秋田県庁入庁


猿田氏は高校卒業後、1988年(昭和63年)に秋田県庁に入庁します。
大学卒業時にはプロ野球や大手企業という選択肢もありました。
しかし



日本経済の礎には地方があり、ふるさとのために働きたい
という思いが強かったのです。
県庁では様々な部署で経験を積みます。
土地改良事業、看護師養成、道路河川公園管理、観光振興に従事しました。
また、企業誘致、中小企業支援、予算編成なども担当しました。
阪神淡路大震災では秋田県の支援隊として現場支援に赴きました。


この経験から防災・減災や災害対応の重要性を学びます。
財政部門では予算や議会対応を通じて県政全般を把握します。
2016年に産業集積課長に就任すると、企業誘致や再生可能エネルギー推進に尽力しました。
2020年には産業労働部長を務めました。
秋田県副知事


2021年(令和3年)には秋田県副知事に就任します。
副知事として経済産業、農林水産はもちろん、人口減少対策にも力を注ぎました。
その結果、2023年の新規就農者数を1989年以降最多の275人にまで増やします。
社会減も副知事就任前から約半分にまで減らすことに成功しました。
再生可能エネルギー分野では、秋田県を先進県へと導きました。
約50万㎡規模の再エネ団地の整備を進める段階まで発展させています。
スタートアップ支援では、2024年に4社を認定し、上場を目指す企業を支援しています。
2024年11月25日、任期満了に伴う2025年の秋田県知事選への出馬を表明しました。
同年11月30日に秋田県副知事を退任し、知事選に向けて動き出しています。



リーダーシップとチームワークを大切にする知事になりそうだね
猿田和三の家族構成


しかし、妻は秋田県南西部の由利本荘市の出身ということがわかりました。


実家は「齋彌酒造店」のようですね。
齋彌酒造店は、明治35年(1902年)に創業されました。
元々は「由利正宗」という銘柄でしたが、現在は「雪の茅舎(ゆきのぼうしゃ)」という銘柄で知られています。
子供については情報は見つかりませんでしたが、年齢的に子供も結婚して孫がいるかも知れませんね。
まとめ
猿田和三氏の学歴や経歴についてお伝えしました。
学生時代に野球で培ったリーダーシップを活かし、秋田県庁での行政経験を積み重ねてきた人物です。
高校時代の悔しさをバネに、大学での成功を掴み、社会人としても秋田の発展に貢献。
今後の動向が注目されてますね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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