自民党の重鎮・二階俊博氏の三男、二階伸康氏。
元ANAの社員という異色の経歴を持ち、父の秘書としても長年活動してきました。
この記事では、二階伸康氏のプ学歴や経歴についてまとめていきます。
二階俊博の三男・二階伸康のプロフィール

名前:二階 伸康(にかい のぶやす)
生年月日:1978年1月4日
出身地:和歌山県御坊市
前職業:元ANA社員・元公設第一秘書
家族:父は二階俊博、3人兄弟の末っ子
二階俊博氏の後継として注目される二階伸康氏。
大学卒業後は全日本空輸に入社し、その後は父の政治活動を支えてきました。
政治家一家として知られる二階家ですが、三男の伸康さんは民間経験が豊富で異彩を放っています。
二階俊博の息子・二階伸康の学歴

二階伸康氏の学歴は、以下の通りです。
小学校:御坊市立御坊小学校
中学校:御坊中学校
高校:和歌山県立日高高等学校 普通科
大学:青山学院大学 法学部 公法学科
地元和歌山で育ち、大学から東京に出て法律を学びました。
それでは、高校からそれぞれの学歴について詳しく見ていきましょう。
出身高校は和歌山県立日高高校

二階伸康氏が通った高校は、和歌山県立日高高等学校です。
地元・御坊市にある公立の進学校で、父・二階俊博氏の母校でもあります。
偏差値はおおよそ50前後。
国公立大学への進学率も高く、SSH(スーパーサイエンスハイスクール)などの国の教育事業にも参加するなど、教育水準が高い学校として知られています。
また、二階伸康さんは在学中にバスケットボール部の主将を務め、インターハイや全国大会にも出場するなど、文武両道の生徒だったようです。
青山学院大学法学部を卒業

高校卒業後は、東京の私立大学である青山学院大学 法学部 公法学科に進学しました。
偏差値は57.5〜62.5とされており、法学系の中でも人気の高い学部です。
在学中は、行政や政治制度などに関心を持ち、将来の進路として政治に関わる意識を強めていったとされています。
青山学院大学はANAの就職人気企業ランキングでも強く、伸康氏もそのルートでANAに入社した可能性があります。
家族も高学歴!

二階家は政治家一家として知られていますが、学歴面でも注目される家系です。
- 父・二階俊博氏:中央大学 法学部 政治学科
- 母親:東京都内の大学を卒業(学校名は非公開)
- 長男・俊樹氏:早稲田大学 理工学部
- 次男・直哉氏:大学名は不明ながら政界・官僚経験あり
兄弟揃って都内の大学に進学しており、家庭内で教育熱心な雰囲気があったことがうかがえますね。

誠実でまっすぐな人物像を強調する上で、学歴の印象は強い材料になりそうです。
二階俊博の後継者・二階伸康の経歴
二階伸康氏のこれまでの経歴をまとめると、以下のとおりです。
2000年:青山学院大学を卒業後、ANA(全日本空輸)に新卒入社
2000〜2014年:旅客サービス部や商品戦略部などに従事
2014年:ANAを退職し、父・二階俊博氏の公設第一秘書に就任
2014〜2024年:政策調整・外交・地元対応など10年にわたり活動
2024年:衆議院選に立候補(落選)
2025年:参議院選挙への出馬
それでは、各キャリアの詳細を見ていきましょう。
2000年にANA入社


青山学院大学卒業後、2000年に全日本空輸(ANA)へ入社。
当時から就職倍率が非常に高い人気企業で、狭き門を突破して入社しました。
ANAの新卒採用は、数十倍〜100倍近くにも及ぶ年もあり、その中でも選ばれるのは、学力だけでなく人柄や適性も重視される人物です。
もちろん、ANA入社について「どうせ親のコネでしょ?」という声が出るのも無理はありません。
父が大物政治家である以上、そう思われがちなのも事実です。


しかし、ANAの新卒採用は書類選考・筆記試験・複数回の面接と段階が非常に厳しく、ましてや2000年当時は就職氷河期。
採用倍率は数十倍にものぼる狭き門です。
政治家の子息だからといって内定が保証されるような世界ではなく、実力と適性がなければ選ばれません。
実際、伸康さんは入社後にいくつもの部署で活躍し、周囲からも信頼を得ていました。
つまり、ANAでのキャリアは「親の七光り」ではなく、地力によるものといえるでしょう。
ANAでは14年間勤務し、さまざまな部署を経験しました。
特に以下のポジションでの活躍が目立ちます。
商品戦略部(CS&プロダクト・サービス室)
オペレーション統括本部 旅客サービス部
空港ラウンジでの業務にも従事
業務は多岐にわたり、空港の現場対応から新サービスの企画まで関わっていました。
ANA時代の最大の実績のひとつが、機内やラウンジでのWi-Fi・コンテンツ導入です。


タブレット端末から新聞・雑誌・映画などを無料で楽しめる環境を整備しています。
紙媒体の削減にもつながり、サービスの質を一段と向上させたことで社内評価も高かったそうです。



就職氷河期にANAへ新卒入社という事実は、それだけで能力と信頼感を証明しています。
政治家としても、相手を思いやる柔らかい姿勢はこの時期に磨かれたのかもしれませんね。
二階俊博の公設秘書に就任


2014年、14年間勤めたANAを退職し、父・二階俊博氏の公設第一秘書に就任。
議員宿舎で父と同居しながら、政治の現場に本格的に身を投じました。
秘書としての仕事は幅広く、国会対応から地元選挙の準備、政務調整まで実質的な右腕として活動していたと言われています。
秘書時代には国内にとどまらず、外交関連の業務もこなしています。


自民党幹事長だった父の代理として、中国やトルコの要人と面会した実績もあります。
和歌山トルコ文化協会や外務省関係者との折衝なども経験し、地元と中央の橋渡し役として信頼を得ていました。
東京での秘書業務に加え、和歌山への移住後は地元回りに力を入れました。
後援会への訪問や議員との連携を重ねるなど、地道な活動を続けています。
その姿勢が評価され、和歌山県町村会からも全会一致での出馬要請を受けるなど、確かな信頼を築いてきたことがうかがえます。
国政に進出


2024年、父・二階俊博氏が政界引退を表明。
後継者として、和歌山県町村会などから正式に出馬要請を受けました。
その後、衆議院選挙に立候補するも惜しくも落選。
しかし、この結果に腐ることなく、次の挑戦に向けて動き出しています。
伸康氏は、「南紀白浜空港の増便」「LCCの誘致」「海外チャーター便の増加」など、具体的な観光振興策を掲げています。
国との交渉を必要とする政策もあり、官民両方の経験がここで生きている印象です。
今後の動向に注目が集まります。



民間での実績と政治での経験、どちらにも深く関わってきた貴重な存在ですね。
二階伸康に関するよくあるQ&A集
ここでは、二階伸康さんに関してよく検索される疑問や話題をQ&A形式でまとめています。
気になる経歴や家族構成など、ポイントを押さえて解説します。
まとめ
今回は、二階伸康氏の学歴や経歴についてお伝えしました。
ANA勤務と政治秘書としての経験を持つ異色の経歴の持ち主でした。
爽やかな印象と丁寧な人柄が地元で評価されており、今後の政界での活躍にも注目が集まります。
ビジネス感覚と実務経験を武器に、次世代型の政治家として期待される存在ですね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。