和歌山県知事である岸本周平氏。
岸本氏の生い立ちを振り返ると、実は厳格な「ゲンコツ親父」と慈愛に満ちた母親という、対照的な両親のもとで育ったことがわかります。
今回は、岸本周平氏を育てた家族について調査していきます。

岸本周平のプロフィール

名前:岸本 周平 (きしもと しゅうへい)
生年月日:1956年7月12日
出身地:和歌山県和歌山市
最終学歴:東京大学法学部
前職:国家公務員・トヨタ自動車渉外部長
趣味:読書、映画鑑賞、柔道(4段)
岸本周平氏は、和歌山市で生まれ育ち、地元の公立小中学校を経て、県立桐蔭高校から東京大学法学部へ進学しました。
大蔵省のエリート官僚としてキャリアをスタートし、40歳前後でプリンストン大学への留学も経験。その後、トヨタ自動車を経て政界に転身します。
5期にわたる衆議院議員を務めた後、2022年に和歌山県知事選に出馬し、80%を超える得票率で当選。現在は地域の発展に尽力しています。
妻は元NHKの人気記者・飯田香織さんで、前妻との間には2人の子供がいます。

岸本周平の実家の家族構成

岸本周平さんの家族構成は
父親
母親
岸本周平
妹
となっています。
それでは、1人ずつ深掘りをしていきましょう!
岸本周平の父親

岸本周平さんの父親は名前や顔画像は明らかになっていません。
1921年生まれの父親は、戦争を経験した世代でした。
満州から南方のニューブリテン島まで、6年間にわたって従軍しています。

戦後は伯父が創業した会社に勤めながら、絵を描く生活を送っていました。
父親の教育方針は極めて厳格でした。
ルソーの教育書「エミール」を教科書に、子育てに臨んだそうです。
毎日のように「ゲンコツ」が飛んできて、岸本氏は幼い頃から体罰を経験しています。
私の父親は子育ては厳しかったです。
手加減をしていたとは、後年言ってましたが、毎日、体罰をくらってました。
いわゆるゲンコツ親父でした。
今では考えられませんが、ゲンコツなんて当たり前の時代だったんですよね。
父親は「手加減していた」と岸本氏は語っていますが、子供時代の岸本氏にとって父親は怖い存在だったとか。
しかし、その厳しさの中にも愛情は込められていました。
内向的だった岸本氏を心配し、小学生の時に町の藤村道場で柔道を習わせることにします。

また、幼い頃から子供に対して、ことわざや古い歌を用いて教育もしていました。
厳しい父親だったようですが、あの時代にエミールを読んでいると言うことは子どもの人格や自由を尊重してくれていたと言うことですね。
岸本周平の母親

岸本周平氏の母親も詳しいことは明らかにされていません。
1929年生まれで、戦争中は女学校の生徒として工場で働いていた経験があります。
私の母は昭和4生まれです。
戦争中に女学校の生徒として、工場での勤労奉仕をした戦中派です。
子供のころ、苦労話を聞いたことがあります。
その育て方は父親とは正反対で、大きな声で叱ることは一度もなかったそうです。
岸本氏は、母親が優しく、父親に叱られた際には母親の背中に隠れていたと語っています。
そんな母親を思う気持ちは今も変わらず、毎年母の日にはカーネーションの鉢植えを贈っています。

このように、相反する教育方針の両親のもとで育った岸本氏。
父親からは規律と教養を、母親からは優しさと思いやりを学んだのではないでしょうか。
スーパーマーケットで演説中、小さな子供に感情的に怒鳴る若い母親を見かけると、自分の母親の優しさを思い出すそうです。
また、政治家としての転身を決意した際、安定した生活を捨てることになる息子を心配する母親の気持ちを、岸本さんは痛いほど理解していました。
ブログには
という言葉が綴られています。
しかし、その決断を支えたのも、両親から受けた教育があったからこそなのかもしれません。
厳格な父親の教えは、困難に立ち向かう勇気となり、優しい母親の存在は、人々への思いやりの心を育んだのかもしれませんね。
岸本周平の妹

岸本氏には2歳年下の妹がいます。
プライバシーへの配慮から、妹についての詳しい情報は明らかにされていません。
年齢的に結婚されて、お孫さんがいるかもしれませんね。
まとめ
和歌山県知事・岸本周平氏の実家の家族についてお伝えしました。
岸本氏は、時に厳しく、時に優しい両親の教えを胸に、政治家としての道を歩んでいます。
岸本周平という政治家を形作ったのは、まさに厳父と慈母という、対照的な存在だったのかもしれませんね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

