日本の政治家として広く知られている小泉進次郎氏。
進次郎構文でも注目を集めていますが、家庭環境についても関心が集まっています。
幼い頃に両親が離婚し、父子家庭で育った進次郎氏と実の母親との関係は複雑なものでした。
なぜ母親は小泉家を去ることになったのでしょうか。
本記事では小泉進次郎氏の母親、離婚の理由、そしてその後の家族関係についてまとめていきます!

小泉進次郎の母・宮本佳代子のプロフィール

宮本佳代子さんは1957年生まれの神奈川県鎌倉市の出身です。
青山学院で幼稚園から大学までを過ごした才色兼備のお嬢様でした。
祖父はエスエス製薬の元会長・泰道照山氏という名家の出身です。
血液型はB型。頭の回転が速く、はっきりものを言うタイプだったようです。
18歳で父親を亡くし、実質的には祖父が父親代わりでした。

佳代子さんは、早くに父親が亡くなってたんだね。
小泉進次郎の両親の出会いと結婚


まず、小泉進次郎氏の両親である小泉純一郎氏と宮本佳代子さんの馴れ初めや結婚について。
宮本佳代子さんと小泉純一郎氏は1977年にお見合いで出会いました。
当時、佳代子さんは青山学院大学3年生。
小泉氏は14歳年上でした。
出会いの翌日にはプロポーズされ、スピード婚でした。
佳代子さんの美しさと教養が、小泉氏の目に留まったのでしょう。
しかし、大学を卒業したばかりの佳代子さんは不安がありました。
また佳代子さんの祖父である泰道氏も反対をし



出て行くなら、その身体一つで行け!
と絶縁寸前までいったそうです。
しかし、小泉純一郎氏から



何も心配しなくていい
という言葉で小泉家に嫁ぎました。
結婚は1978年、仲人は当時の福田赳夫首相が務めました。
結婚当時、佳代子さんのお腹にはすでに長男・孝太郎氏がいました。



1978年は佳代子さんは21歳だから、学生結婚ってこと?
小泉家における嫁姑関係


佳代子さんが嫁いだ小泉家は、女性たちが家を仕切る「女系家族」でした。
義母:芳恵
義姉:道子・信子
純一郎氏の父親である純也氏は1969年年に亡くなっています。
そのため、小泉家では義母の芳江さんと義姉たちが選挙と家事を取り仕切っていました。
政治家の妻としての役割を教え込まれる日々が始まり、まだ赤ちゃんの進次郎氏を背負いながら選挙活動をしたこともあります。
しかし、佳代子さんは小泉家で居場所を見つけることができませんでした。
嫁として疎まれていたことも報じられています。
結婚当時、小泉家では純一郎さんの母や、信子さん、その姉の道子さんらが選挙と家事を取り仕切っていました。その中に長男の嫁として飛び込んだ佳代子さんでしたが、“女系家族”の壁は厚く、なかなか居場所を見つけられませんでした。
引用元:NEWSポストセブン
生活費も純一郎氏からではなく、義姉から受け取る状況だったといいます。
20歳以上年上の義姉たちに「口答え一つ許されなかった」そうです。



時代が時代というのもあるけど、佳代子さんには壮絶な生活だったんだろうね
小泉進次郎の両親の離婚理由


小泉家の離婚理由についてはさまざまな憶測が飛び交っていますが
- 政治一家に根付く強い家族制度
- 若すぎた新妻と政治の現実
- 全てを支配する義姉たち
結婚からわずか4年後の1982年に純一郎氏と佳代子さんは離婚しました。
離婚時、佳代子さんのお腹には三男の佳長氏がいたことから、夫婦仲には問題なかったと推測されます。


しかし、女系家族の壁が厚すぎたのです。
詳しく見ていきましょう!
1. 政治一家に根付く強い家族制度


小泉家は、小泉進次郎氏の曽祖父の代から政治家一家として続いています。
そして、家族の女性陣が家事や選挙活動を取り仕切るという、いわば「女系社会」の色が強い家庭でした。
純一郎氏の母・芳江さん、姉の道子さんや信子さんが家の実権を握っていたため、外から来た嫁が入り込む余地はほとんどありませんでした。
2. 若すぎた


結婚当時、宮本佳代子さんはまだ22歳の若さ。
大学を卒業したばかりで社会経験もなく、いきなり政治家の妻としての役割を求められました。
赤ちゃんだった孝太郎氏を背負いながら選挙活動をこなすなど、激務に耐えていたものの、義母や義姉たちとの関係が次第に悪化していったようです。
3.全てを支配する義姉たち


報道によると、佳代子さんは夫から直接生活費をもらうことはなく、義姉から渡されるお金で家計をやりくりしていたとのこと。
「口答え一つ許されず、すべてに服従するしかなかった」とも伝えられており、いわゆる“嫁いびり”のような環境にあったのではないでしょうか。
こうした厳しい状況の中で、佳代子さんはついに耐えきれなくなり、小泉家を去る決意をします。
しかし、幼い2人の息子(長男・孝太郎氏と次男・進次郎氏)は小泉家に残されることになり、親権は純一郎氏が持つことになりました。
その後、生まれた三男・佳長さんは佳代子さんが育てることになり、小泉家とは完全に関係を絶つことになります。



相当、いびられたんだろうね。
純一郎氏もどうにかできなかったのかな…
小泉進次郎の両親の離婚後
小泉家
進次郎氏と孝太郎氏は、父・純一郎氏の姉・道子さんに育てられました。
道子さんの子供はすでに成人しており、



幼い2人に寂しい思いをさせたくない
と献身的に子育てをしました。
毎朝5時に起きる幼い兄弟の面倒を見ていたそうです。
離婚当時、進次郎氏は1歳だっため、道子さんが本当の母親だと思っていました。
真実を知っても、育ての母・道子さんへの恩義から実母との接触を避けていました。
宮本家


佳代子さんは社会経験のないまま、シングルマザーとして新生活をスタートしました。
三男・佳長氏を出産後、半年ほどで不動産業界に飛び込みます。
1ヶ月の猛勉強で宅地建物取引士の資格に合格しました。
三井不動産グループでキャリアを積み、「伝説の不動産コンシェルジュ」と呼ばれるまでになりました。
現在は三井不動産の関連企業で顧問や経営コンサルタントとして活躍しています。
佳代子さんは離婚後、小泉家との関わりを絶つという約束を守り、小泉純一郎氏が首相に就任した際も取材をすべて断りました。
三男の佳長氏には



父親が有名でも、あなたとは関係ない
と厳しく言い聞かせていました。
佳長氏も同じ不動産業界で働いており、母子ともに成功を収めています。



2人が成功したのは、佳代子さんの意地でもあっただろうね
30年ぶりの再会


離婚後、佳代子さんは小泉家との関係を完全に断ち、息子たちとも一切会わない生活を続けていました。
しかし、2013年、三男・佳長さんの結婚を機に、ついに家族が再会を果たします。
進次郎氏は当初、育ての母である伯母・道子さんへの配慮もあり佳代子さんを「他人」として扱っていました。
しかし、2024年の総裁選出馬に際し、



今年初めて実の母に会いに行った
と明かしました。
これを機に、母子関係のわだかまりが少しずつ解消されているようです。



3兄弟は食事会を開いたりしてるそう
まとめ
小泉進次郎氏の両親の離婚理についてお伝えしました。
才色兼備の佳代子さんは政治家の妻として奮闘しましたが、小泉家の「女系家族」の壁に阻まれ、幼い子どもたちを残して家を出ることになりました。
その後、佳代子さんはシングルマザーとして三男を育てながらキャリアを築き、「伝説の不動産コンシェルジュ」と呼ばれるまでになっています。
30年以上の時を経て、進次郎氏と実の母との関係も少しずつ修復されつつあります。
家族の形は様々ですが、時間が癒やすこともあるのですね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。



