【顔画像】矢田稚子の夫はパナソニックのエリート!子供は息子1人で弁護士!?

首相補佐官を務めたことがある矢田稚子(やだ わかこ)氏。

彼女は、地域社会や政治の分野で活躍し、多くの人々に影響を与えてきた人物です。

しかし、その一方で、家族との関係についてはあまり知られていません。

本記事では、矢田稚子氏のプロフィールや夫・子供との関係について詳しく紹介します。

目次

矢田稚子のプロフィール

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矢田稚子のプロフィール

名前:矢田 稚子 (やた わかこ)

生年月日:1965年9月25日

出身地:大阪府大阪市浪速区

最終学歴:大阪府立寝屋川高等学校

前職:松下電器産業(現パナソニック)

矢田稚子さんは1965年9月25日生まれの大阪府大阪市浪速区出身です。

子ども時代は寝屋川市で過ごしました。

高校2年生の時、家に何百万円もの借金があることを知り、退学願を出します。

しかし、複数のアルバイトを掛け持ちしながら高校に通い続けました。

高校卒業後、本来は弁護士を目指して大学進学を希望していましたが、両親の病気でヤングケアラーとなり断念。

同年、松下電器産業(現パナソニック)に入社しました。

2016年、電機連合の支援を受け、第24回参議院議員通常選挙に民進党公認で比例区から立候補し初当選を果たします。

その後、国民民主党に移り、2022年の参院選では落選。

2023年9月、岸田内閣の内閣総理大臣補佐官(賃金・雇用担当)に就任し、2024年10月に発足した石破内閣でも再任されました。

矢田稚子の家族構成

矢田稚子氏の家族構成は以下の通りです。


矢田稚子
息子

夫と息子の3人家族です。

しかし、その家族の形態は一般的なものとは少し異なっていました。

引き続き、ご覧ください。

矢田稚子の旦那

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矢田稚子さんの夫については、顔画像以外、詳細な情報はあまり公開されていません

名前は「けいじ」さんという情報がありましたが、信憑性に欠けます。

しかし、矢田氏と同じく松下電器産業(現パナソニック)に勤めていたとのことです。

おそらく社内での出会いだったのではないかと推測されます。

矢田氏は結婚当時の状況について

夫が帰国してから結婚、出産する予定だったが、父親が肝臓がんで余命宣告を受けたため、帰国を待たずに結婚することにした。

と語っています。

興味深いのは、矢田氏が「駐在妻」となることを拒否したことです。

当時のパナソニックには「奥様研修」があり、着物の着付けや折り紙などの日本文化を学ぶ研修があったといいます。

しかし矢田氏は

せっかく主任職になったキャリアを生かしたいので、米国には行きません!

と断ったそうです。

この決断が、その後の長期間の別居婚につながっていきました。

夫は単身赴任中、シンガポールに約5年、アメリカに約5年、合計約10年の海外生活を経験しています。

海外での生活経験から、「家事や育児と仕事との両立に悩む女性がいるのは社会がおかしい」という考えを持つようになったといいます。

しかし、20年間ワンオペが続いたと矢田氏はポストをしています。

国内での転勤もあったのかもしれませんね。

10年も海外にいたんだから、優秀な人だということがわかるね!

矢田稚子の子供は息子が1人

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矢田稚子氏には1人息子がいます。

息子も夫同様、詳しいことは明らかにされいません。

しかし、息子は2025年3月に大学を卒業したとポストしていました。

今まで、息子の顔出しをしていたのですが、今回はなぜかモザイクが…

そして、証書の大学名も隠してありますが、見たことあるので調べたところ中央大学でした。

中央大学には法学部もあるので、もしかしたら母親の夢であった弁護士になったかもしれませんね。

中央大学法学部は、法学教育の伝統と実績を持ち、司法試験や予備試験の合格実績が高いことで知られる学部です。

息子の幼少期は、父親はアメリカに単身赴任中で、母親のワンオペ育児でした。

私のおなかが大きくなっていた頃は、母も妹も末期がんの父親の看病にかかりきりでした。子どもを1人で育てられないと思った私は、家の近所を名刺を配りながら、「産んだ後、子育てを手伝ってもらえませんか」とあいさつして回りました。


引用元:日経クロスウーマン

出産前には近所を回り、「産んだ後、子育てを手伝ってもらえませんか」と名刺を配って協力を呼びかけたというエピソードも語られています。

このエピソードからは、地域の力を借りながら子育てをしていこうとする矢田氏の積極性と行動力が伝わってきます。

https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/hoiku/55801/

息子の姓に関しても興味深いエピソードがあります。

妊娠中からの夫との約束で、息子は最初は矢田氏の姓を名乗り、小学校に上がるタイミングで夫の姓に変更したそうです。

矢田氏によると、息子は高校になって初めて母親と姓が違うことを意識したといいます。

友達に母親と自分の姓が違うことを指摘されたとき、

おまえのとこ、お母さんと名前同じなん?

と複数の友達に聞き、自分だけが母親と姓が違うことを知ったとのこと。

このエピソードから、矢田親子にとっては母親と子どもの姓が異なることは特別な問題ではなかったことがうかがえます。

ワンオペが続いていた矢田家ですが、現在は家族3人で息子の誕生日を祝ったり、旅行に行ったりしています。

2023年に21歳のお祝いをしているので、息子は2002年生まれですね。

矢田氏の後継者になりそうだから、目が離せないね!

まとめ

矢田稚子氏の家族についてお伝えしました。

従来の家族観にとらわれない新しい家族のあり方が見えてきます。

夫の長期にわたる海外赴任、夫婦別姓の選択、地域の力を借りて行うワンオペ育児など、一般的な家族形態とは異なる選択をしてきました。

仕事と家庭を両立させてきた矢田氏の人生は、多くの女性にとって大きな励みとなるのではないでしょうか。

今後も政治家として、また一人の女性、母親として、矢田稚子氏の活躍に注目していきたいと思います。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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この記事を書いた人

はじめまして、さとみです!
 
沖縄在住の歯科衛生士です。
気になった政治家の情報について
お伝えしていきます。

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