岡田克也のwiki学歴経歴|イオン創業家出身の東大卒エリート官僚!

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岡田克也氏は野党第一党の代表を務めた経歴など経験豊富な政治家です。

たとえ同じ政党の仲間でも違うことはハッキリ言う姿勢を貫き、確固たる自分の信念を持ち続ける数少ない政治家でもあります。

この記事では、頑固一徹と称される岡田克也氏の学歴や経歴について調査していきます。

目次

岡田克也のプロフィール

岡田克也のプロフィール

生年月日   昭和28年7月14日

出身地    三重県四日市市

趣味     

好きな食べ物 果物・和菓子

尊敬する人物 織田信長

座右の銘   大器晩成

岡田克也のプロフィール

名前:岡田 克也 (おかだ かつや)

生年月日:1953年7月14日

出身地:三重県四日市市

趣味: 映画鑑賞・ジムでのトレーニング・カエルの置物収集・読書

好きな食べ物:果物・和菓子

尊敬する人物:織田信長

座右の銘:大器晩成

岡田克也のニックネームは「原理主義者・制作ロボ」と言われていますが、岡田氏自身は「永田町の外の人間」を自称しています。

お酒は飲まず料亭などを渡り歩くタイプではなく、会合がない日はコンビニ弁当で食事を済ませることも少なくありません。

贈り物を一切受け取らないことでも知られ、お祝いの花なども一切受け取らずパフォーマンスも大嫌いと公言する真面目さ。

趣味のカエルとヘビの置物収集では失敗談もあります。

過去にシンガポールで見つけたカエルの置物を購入するも、35万円相当の品で慌ててキャンセルしたそうです。

また昼食はダイエットジュースで済ますことも多く、200キロカロリーを維持し続け夜も食事の量を減らすことを意識しています。

岡田克也の学歴

岡田克也の学歴

岡田克也氏の学歴は以下のとおりです。

小学校:三重県四日市市立中部西小学校
中学校:三重県四日市市立中部中学校 
高校:国立大阪教育大学附属高等学校池田校舎
大学:東京大学法学部

岡田克也氏はイオン創業家一族のエリートですが、中学校までは市立の学校に通っていたのには理由があります。

父である岡田卓也さんの考えが大きく、子供たちに庶民感覚を学ばせるために義務教育までは地元の公立に通わせる方針を徹底していたのです。

岡田克也の実家

岡田家の発祥は「岡田呉服店」で庶民の家だったこともあり、岡田克也氏も地元の公立校に通ったことで現在も富裕層じゃない友達も多くいるようです。

岡田卓也さんの3人の子供は地元の公立校に通い、学生時代に公立学校に通った経験は大きく生かされているのは間違いありません。

岡田氏は父の卓也さんの考えを受け継ぎ、自身の子供たちも地元の公立校に通わせ庶民感覚を持つことを大切にしています。

中学3年の時に父の卓也さんは大阪に引っ越し、岡田氏は大阪の高校に進学することを決断します。

大阪で父の卓也さんと2人暮らしするなかで、経営者として奮闘する父の姿を見てきたことが大きな財産だと話していました。

それまで岡田家は早稲田大学に進学するのが慣例でしたが、岡田氏は「年号」に関する出題があった早稲田大学ではなく東京大学を受験し進学しています。

当時の岡田氏は

歴史の年号なんか、全体に覚えない!

と言い放ち、東京大学に進学したのも堅物と称されるエピソードの一つです。

とても華やかなイメージも強い岡田氏ですが、意外にも質素な生活をしていて、好物が「おから」。

学生時代は「おから克也」と呼ばれていたそうです。

政治家になっても庶民感覚を大切にしているからこそ、大物政治家と言われても変わらない人柄だと思います。

岡田克也の経歴

1976年 東京大学法学部卒業、通商産業省(現・経産省)入省
1985年 ハーバード大学国際問題研究所に派遣
1988年 通産省を退官
1990年 第39回衆議院選挙で自民党から初当選(三重1区)
1993年 自民党離党、新生党結党に参加
1998年 民主党結党に参加
2004年 民主党代表に就任(参院選で自民党を上回る)
2009年 外務大臣(鳩山・菅内閣)
2012年 副総理・行政刷新担当大臣など(野田内閣)
2014年 再び民主党代表に就任
2020年 立憲民主党へ合流
2022年 立憲民主党幹事長
2025年 三重3区選出の衆議院議員(11期目)

東大卒のエリート官僚としてキャリアをスタート

岡田克也は大学卒業後、通産省に入省

1976年、通商産業省に入省。

日本経済が高度成長の波に乗るなか、貿易政策やエネルギー問題に従事しました。

1985年には、ハーバード大学国際問題研究所へ官費留学

世界を広く見渡す視点を得たことで、政治家としての道を意識するようになります。

1988年、官僚を退職し、翌年から本格的に政治活動を開始しました。

自民党で初当選

国会議事堂の外観

1990年の衆議院選挙で旧三重1区から自民党公認で出馬し、初当選

官僚出身の新人として注目を集めました。

しかし1993年、宮沢内閣の不信任案に賛成票を投じたことで自民党を離党。

小沢一郎氏らとともに新生党を結成し、以後は新進党→民政党→民主党と、政界再編の流れのなかで中道リベラルの一員として活動を続けます。

民主党代表として国政選挙をけん引

民主党代表に就任した岡田克也

2004年、民主党代表に就任

クリーンな政治家像で支持を集め、同年の参院選では自民党を上回る議席を獲得するという快挙を達成しました。

しかし翌2005年、小泉純一郎首相による郵政解散に翻弄され、総選挙では大敗。

責任を取り、代表職を辞任することになります。

誠実でまじめな性格ゆえに、パフォーマンス重視の政局には不向きだった面もあるかもしれません。

外務大臣・副総理

外務大臣の岡田克也

2009年、民主党が政権交代を果たすと、鳩山由紀夫内閣で外務大臣に就任

米軍基地問題、日中・日韓外交、日米の「密約」問題などを巡って地道な交渉を重ねました。

その後、2012年には野田佳彦内閣で副総理・行政改革担当大臣として入閣。

消費税増税と社会保障改革をセットで行う「社会保障と税の一体改革」にも深く関わりました。

民主党の再建に尽力し、立憲民主党へ合流

2014年、再び民主党代表に返り咲き、自公政権に対抗する野党再編を目指します。

しかし、旧維新の党などとの合流や民進党の結成・分裂を経て、混乱のなかで代表職を退きました。

2020年、立憲民主党の再結成に参加。

2022年からは党幹事長として岸田政権に対する追及の先頭に立ちました。

現在も政策通のベテラン議員として活躍中

2025年現在も、三重3区選出の衆議院議員として国政の一線に立ち続けています。

持ち前の政策知識と分析力で、外交・安全保障・行政改革など幅広い分野に提言を続けています。

「対話と理性」を重んじる岡田克也氏の姿勢は、ポピュリズムが台頭する時代において、むしろ希少な存在といえるかもしれませんね。

岡田克也についてよくあるQ&A集

岡田克也氏については、ネット上でも「どこの大学出身?」「官僚だったって本当?」といった素朴な疑問が多く見られます。

ここでは、そんなよくある質問にわかりやすく答えていきます。

岡田克也氏はどこの大学出身ですか?

東京大学法学部を卒業しています。

もともと官僚だったのですか?

はい、通商産業省のキャリア官僚でした。

外務大臣時代に何をしたのですか?

日米地位協定の見直しや、密約問題の解明などに取り組みました。

副総理としては何を担当していたのですか?

社会保障・税改革、行政刷新、公務員制度改革などです。

現在の立場は?

立憲民主党の常任顧問を務める衆議院議員です。

まとめ

岡田克也氏の学歴や経歴についてお伝えしました。

イオン創業家一族の1人として生まれた岡田氏ですが、自分のやりたいことを貫き政治家になった経緯が印象的です。

誠実な人柄で庶民感覚も持ち合わせた政治家で、今後も日本のために頑張ってほしいところです。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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この記事を書いた人

はじめまして、青木さとみです!
 
沖縄在住の歯科衛生士です。
気になった政治家の情報について
お伝えしていきます。

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