つばさの党の代表として知られる黒川敦彦さん。
実は学歴や経歴が「おかしいほど」優秀なのです。
今治西高校から大阪大学へと進み、NEDOや大阪大学の研究員を務めた後、起業や政治活動へと転身していった黒川敦彦さん。
この記事では、黒川さんの驚くべき学歴と経歴をまとめていきます!

黒川敦彦のプロフィール

名前:黒川 敦彦(くろかわ あつひこ)
生年月日:1978年9月6日
出身地:愛媛県今治市
職業:政治活動家、実業家
所属:政治団体「つばさの党」代表
黒川敦彦さんは1、978年9月6日生まれの愛媛県今治市出身の政治活動家です。
愛媛県立今治西高校(偏差値66)から大阪大学工学部へと進学し、卒業後はNEDOや大阪大学VBLの研究員を務めました。
25歳で起業後、2011年に今治市へ帰郷し、地域振興に携わります。
2017年以降、衆議院選挙や参議院選挙に複数回立候補し、現在は「つばさの党」代表として活動中です。
かつては今治市議の黒川美樹さんと結婚し3人の子をもうけましたが2018年に離婚。
政治活動のほか、YouTubeチャンネル運営(登録者25万人超)や格闘技イベント参加など多方面で話題を集めています。
黒川敦彦の学歴
黒川敦彦さんの学歴は
小学校:愛媛県の公立小学校?
中学校:愛媛県の公立中学校?(推定)
高校:愛媛県立今治西高等学校
大学:大阪大学工学部
となっています。
小学校と中学校は明らかにされていませんが、愛媛県内の公立学校ではないかと言われています。
それでは、詳しく見ていきましょう。
愛媛県立今治西高等学校

黒川敦彦さんは愛媛県立今治西高等学校の出身です。
この高校は、偏差値66を誇る愛媛県トップクラスの進学校なのです。
今治西高校は、毎年300人以上もの生徒を国公立大学に合格させている実績があります。
難関大学への進学率も高く、黒川さんの頭の良さが伺えますね。
高校時代の黒川さんは勉強だけでなく部活動にも励んでいたようです。
今治西高校は「文武両道」を掲げており、野球部は甲子園に春12回、夏12回の出場経験があります。
テニス部やボート部、陸上競技部も全国総体に出場するほどの強豪校です。
大阪大学工学部

高校卒業後、黒川さんは大阪大学工学部に進学しました。
大阪大学と言えば、日本のトップクラスの国立大学です。
特に工学部の偏差値は60~62.5と非常に高く、優秀な人材が集まる場所として知られています。
大学時代、黒川さんは大阪府池田市石橋2丁目に住んでいたそうです。
石橋駅周辺は学生街として知られており、彼はここで充実した大学生活を送りながら専門知識を深めていきました。
このように、黒川さんの学歴は「おかしいほど」優秀なのです。

進学校から難関国立大なんてエリートでだから、確かに「学歴がおかしい」って言われるのも納得!
黒川敦彦の経歴
黒川敦彦さんの政治活動をする前の経歴は
2001年4月~2004年3月:大阪大学ベンチャー・ビジネス・ラボラトリー(VBL)研究員
同時期:国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)研究員
同時期:大阪TLOコーディネーター(兼任)
2003年:株式会社アイキャット設立(25歳で起業)
2011年:愛媛県今治市に帰郷し、農業と地域振興事業に携わる
となっています。
研究員


大阪大学を卒業した黒川敦彦さんは、すぐに研究者としてのキャリアをスタートさせました。
2001年4月から2004年3月まで、大阪大学ベンチャー・ビジネス・ラボラトリー(VBL、現大阪大学産学共創本部)の研究員を務めています。
同時に、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)でも研究員として働いていました。
NEDOは日本のエネルギー政策に関わる重要な機関です。
さらに、大阪TLOのコーディネーターも兼任するなど、多忙な日々を送っていたようです。
23歳でこれだけの重要なポジションに就いていたことからも、黒川さんの実力が伺えますね。
研究者としてのキャリアを積みながら、彼は次のステップへと進む準備をしていました。
独立


2003年、黒川さんは独立して株式会社アイキャットを設立します。
わずか25歳での起業です。
若くして経営者になった彼は、医療系のベンチャー企業を運営し、革新的な技術の開発と実用化に取り組みました。
2011年には愛媛県今治市に帰郷し、農業と地域振興事業に携わっています。
地元に戻り、地域の発展に貢献しようとする姿勢は、彼の郷土愛の表れかもしれません。
このように、黒川敦彦さんは研究者から起業家へと転身し、様々な分野で活躍してきました。
若くして複数の重要なポジションを経験し、次々と新しい挑戦を続けてきた彼の経歴は、まさに「おかしいほど」充実しているのです。



筆者、実は歯科に従事してたんだけど…
アイキャットって黒川さんが設立だったとは驚いたよ
黒川敦彦の政治活動家としての選挙戦


黒川敦彦さんの政治活動家としての経歴は
2008年:リーマンショックをきっかけに政治活動を開始
2016年:市民団体「でんわ勝手連」事務局長に就任
2017年:市民団体「今治加計獣医学部問題を考える会」を結成、共同代表に就任
2017年:第48回衆議院議員総選挙に山口県第4区(無所属)から出馬するも落選
2019年:政治団体「オリーブの木」代表として参議院比例区から立候補するも落選
2021年1月:「オリーブの木」を「つばさの党」に党名変更
2021年7月:NHK党選挙対策本部長に就任
2021年10月:第49回衆議院議員総選挙(比例北関東ブロック)に立候補するも落選
2022年1月:NHK党幹事長に就任
2022年2月:町田市長選挙に立候補するも落選
2022年7月:第26回参議院議員選挙(全国比例区・NHK党)に立候補するも落選
2023年1月:政治家女子48党幹事長を務める
2024年4月:衆院東京15区補欠選挙で公職選挙法違反の疑いで逮捕2
025年2月:千葉県知事選挙に「つばさの党」代表として立候補表明
となっています。
黒川敦彦さんが政治活動を始めたきっかけは、2008年のリーマンショックでした。
「今の金融業に未来はない」と考えた彼は、社会の仕組みを変えるために政治の道へと進むことを決意します。
政治活動への転身
黒川敦彦さんが政治活動を始めたきっかけは、2008年のリーマンショックでした。



今の金融業に未来はない
と考えた彼は、社会の仕組みを変えるために政治の道へと進むことを決意します。
2016年、黒川さんは安保関連法制廃止を掲げる候補者を応援する市民団体「でんわ勝手連」の事務局長を務めました。翌2017年には「今治加計獣医学部問題を考える会」を結成し、共同代表に就任しています。
同じ2017年、黒川さんは第48回衆議院議員総選挙に山口県第4区から無所属で出馬します。
これは当時の安倍晋三首相の選挙区に挑む大胆な挑戦でした。
結果は落選でしたが、この経験が彼の政治家としての第一歩となりました。
選挙挑戦と党での活動


2019年には「オリーブの木」(現在のつばさの党)の代表として参議院比例区から立候補。
2021年にはNHK党の選挙対策本部長として第49回衆議院議員総選挙に出馬しました。
2022年には町田市長選挙や第26回参議院議員選挙にも挑戦しています。
残念ながら、これらの選挙では当選を果たせませんでしたが、黒川さんの政治的な影響力は徐々に拡大していきました。
2023年には、山口4区の衆院補選にNHK党公認で立候補する意向を示すなど、政治活動を続けています。
2021年には「オリーブの木」を「つばさの党」に改名し、党代表として活動しています。
また、2022年にはNHK党の幹事長に就任するなど、政党活動においても重要な役割を担っていました。
新時代の政治活動と多角的な挑戦


黒川敦彦さんの政治活動は、従来の政治家とは一線を画しています。
彼はSNSやYouTubeを積極的に活用し、現在のYouTubeチャンネルは登録者数24万人を超える人気です。
このような新しい形の政治活動は、若い世代からの支持を集めています。
2024年には格闘技イベント「天下一」にも参加し、サップ西成さんと対戦するなど、政治活動以外でも話題を提供しています。
さらに2025年には千葉県知事選挙への立候補を表明するなど、精力的に活動を続けています。
黒川敦彦の評判
黒川敦彦さんの学歴や経歴は確かに優秀ですが、実際の政治活動や発言が評価を分ける要因となっています。
SNSや街頭演説では過激な発言をすることもあり、その姿勢には賛否両論があります。




このように批判的な意見が目立つ一方、黒川さんを支持する意見も多くあります。






「黒川敦彦がんばれ!」「応援しているぞ!」などの声もありました。



政治の世界の新しい存在として期待する人もいるのかな
まとめ
黒川敦彦さんの学歴と経歴についてお伝えしました。
確かに「おかしいほど」優秀であることがわかりました。
愛媛県立今治西高校という偏差値66の進学校から大阪大学工学部という難関大学へと進学。
NEDOや大阪大学の研究員を務めるなど、エリートコースを歩んできたのです。
その後も起業家として成功を収め、政治活動家としても精力的に活動しています。
学歴、経歴ともに「おかしいほど」充実しており、その実力は本物です。
しかし、彼の過激な言動や行動には賛否両論があるのも事実。今後も彼の活動から目が離せません。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。



