小泉進次郎氏の母親である宮本佳代子さん。
実家が大手製薬会社でお嬢様だと話題になっています。
今回は、宮本佳代子さんの実家についてまとめていきます!

宮本佳代子のプロフィール

名前:宮本 佳代子 (みやもと かよこ)
生年月日:1957年生まれ
出身地:神奈川県鎌倉市
最終学歴:青山学院大学
血液型:B型
宮本佳代子さんは1957年生まれの神奈川県鎌倉市の出身です。
青山学院で幼稚園から大学までを過ごした才色兼備のお嬢様でした。
血液型はB型。
頭の回転が速く、はっきりものを言うタイプだったようです。
18歳で父親を亡くし、実質的には祖父が父親代わりでした。
小泉純一郎氏と宮本さんの出会いは1977年のことです。
当時、宮本さんは青山学院大学の3年生。
小泉氏は彼女より14歳年上でしたが、お見合いの翌日にはプロポーズをするほど一目惚れだったと言われています。

二人は翌1978年に結婚しましたが、1982年に三男を妊娠中でしたが、離婚をしました。
宮本佳代子の実家の家系図
宮本佳代子さんの実家の家系図は以下のとおりです。

この家系図を見ると、各世代が様々な分野で成功を収めた名門の家系だということがわかります。
祖父:宮本安蔵・判事
泰道照山・エスエス製薬元会長
父親:宮本輝久・東洋化工社長
父方の曽祖父・宮本央氏も東京府の多額納税者として名を連ね、書籍商や貸金業を営んでいたそうです。
家系の基盤を築いた人物として知られています。
それでは、詳しくみていきましょう。
宮本佳代子の父方祖父

宮本佳代子さんの父方の祖父は宮本安蔵さんで判事を務めました。
法曹界で活躍した祖父の存在も、佳代子さんの成長に影響を与えたことでしょう。
1914年に第七高等学校造士館、1917年には東京帝国大学法科大学法律学科を卒業しています。
学校の名前だけでも、優秀だということがわかりますね。
しかし、1923年に発生した関東大震災で圧死をしました。

佳代子さんが生まれる前、亡くなっているのか
宮本佳代子の母方の祖父


宮本佳代子さんの母方の祖父・泰道照山(たいどうしょうざん)さんは、エスエス製薬の元会長でした。
製薬業界で大きな成功を収め、名声と財を成した人物です。
泰道家は経済的にも社会的にも高い地位を確立していました。
18歳で父親を亡くした佳代子さんにとって、泰道照山さんは父親的な存在だったといわれています。
実は、佳代子さんが小泉純一郎士と結婚する際、泰道照山さんはの結婚を反対していました。
理由は明確には語られていませんが、政治家一家に嫁ぐことへの懸念があったのかもしれません。
「出ていくならその身一つで出ていけ」という厳しい言葉は、孫娘の将来を案じての判断だったのかもしれません。
結婚により佳代子さんと泰道家の関係は絶縁寸前にまで悪化したといわれています。



製薬会社の会長になるような人だから、政治家に嫁ぐということがどんなことなのかが、わかっていたんだろうね。
宮本佳代子の父親


宮本佳代子さんの父は宮本輝久さんで、東洋化工の社長を務めた実業家でした。
佳代子さんが18歳の時に、52歳で亡くなっていますが、死因は明らかにされていません。
輝久さんは明治大学小学部の出身で、経営者として手腕を発揮してきます。
輝久さんもまた名家の一員として、社会的地位と経済力を兼ね備えていました。
父の仕事ぶりや経営者としての姿勢は、後に佳代子さん自身が経営者になる際のモデルになったかもしれません。
現在、宮本アソシエイツの代表を務める彼女のビジネスセンスは、父親譲りの部分もあるのでしょう。
企業経営の基本や仕事に対する姿勢など、幼少期に父から学んだことは多いはずです。
宮本佳代子の母親


宮本佳代子さんの母で志計子さんは、エスエス製薬元会長・泰道照山の長女でした。
いわゆる「お嬢様」として育ち、良家の娘としての教養を身につけていたことでしょう。
母・志計子は東洋化工社長の宮本輝久と結婚し、二つの名家の架け橋となりました。
彼女もまた上流社会の一員として、高い社会的地位にありました。
佳代子さんが青山学院という名門校で学べたのも、母の教育方針があったからこそと思われます。
上品で知的な母の姿は、佳代子さんの人格形成に大きな影響を与えたはずです。
まとめ
宮本佳代子さんの実家の家族について、お伝えしました。
祖父は判事とエスエス製薬の元会長という輝かしい家系です。
父親は東洋化工社長、母・志計子は泰道照山の長女として、各世代が各分野で成功を収めていました。
このような恵まれた環境で育った佳代子さんは、幼稚園から大学まで青山学院に通うお嬢様でした。
名門の血を引きながらも、自分の力で人生を切り開いた佳代子さんの姿は、多くの女性の憧れですね。
今後の活躍からも目が離せません。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。



