小池百合子の父親(小池勇二郎)は超破天荒!闇市成金から石油王そして落選議員!?

東京都知事として注目を集める小池百合子氏。

その強烈な行動力や国際的な視野の背景には、父・小池勇二郎さんの存在が欠かせません。

この記事では、小池百合子氏の父親である勇二郎さんについてまとめていきます。

この記事でわかること
  • 小池百合子氏の父・小池勇二郎氏の生涯と経歴
  • 軍人から実業家へ転身した背景
  • 石油ビジネスや中東貿易の成功と失敗
  • 政界進出を目指した政治活動の実態
  • カイロでの再起と最期の様子
  • 父親の生き方が娘・百合子氏の原点に与えた影響

どれかひとつでも気になった方は、ぜひ最後までチェックしてみてください!

目次

小池百合子の父親・小池勇二郎のプロフィール

小池百合子の父・小池勇二郎さん
小池勇二郎のプロフィール

名前:小池勇二郎(こいけ ゆうじろう)

生年月日:1922年(大正11年)8月6日

出身地:兵庫県神戸市

死去:2013年(平成25年)5月24日(90歳)

学歴:中央大学専門部商学科卒業(1944年)

家族:妻・恵美子(1924年-2013年)、長男・勇、長女・百合子(1952年-)

1922年、兵庫県神戸市に生まれた勇二郎さん。

家業は海運業を営む「小池合名会社」で、実家は裕福な家庭でした。

母・かつさんは兵庫の名家出身。

父・喜兵衛さんは宮城出身の実業家で、家族で事業を支えていた背景があります。

中央大学専門部商学科を卒業後、戦中は満洲国の国有鉄道の経理部に所属。

海軍中尉を名乗っていましたが、真偽については複数の説が存在しています。

ともあれ、その時代を生き抜いた証が彼の行動力の源だったのでしょう。

小池百合子の父・小池勇二郎の経歴

小池勇二郎さんの経歴は以下のとおりです。

1944年(昭和19年):中央大学専門部商学科卒業
第二次世界大戦中:海軍中尉として満洲国有鉄道経理部に所属
1951年(昭和26年):三昌物産専務に就任
1959年(昭和34年):三昌物産社長に就任
1963年(昭和38年):国際三昌社長を兼任
1968年:石原慎太郎の参議院選挙(全国区)で関西地区の選対責任者を務める
1969年:第32回衆議院議員総選挙に旧兵庫2区から無所属で立候補するも落選
1971年頃:経営していた会社が倒産
その後:エジプト・カイロで日本食レストラン「なにわ」を開業
2013年(平成25年)5月24日:90歳で死去、死因は心不全

勇二郎さんは軍人から実業家へと転身し、石油関連の事業で成功を収めた人物でした。

それでは、詳しく見ていきましょう!

海軍中尉

小池百合子の父・勇次郎は戦時中は海軍中尉に所属していた

中央大学専門部商学科を卒業した後、戦時中は海軍中尉として満州国有鉄道経理部に所属していたといわれています。

海軍中尉とは…
軍人の階級のひとつで、大尉の下、少尉の上の位。
現在の企業でいえば、課長代理にあたる役職です。

これは、勇二郎さん本人が発言しており、真偽は不明です。

実は、

1944年に専門部を卒業して、翌年の終戦までに中尉になれるわけない!

満州鉄道なら海軍ではなく、陸軍なのでは?

と言われているのです。

ちなみに勇二郎さんは野球が得意で、「満鉄クラブ」でショートを務めていたそうです。

スポーツマンでもあった様子がうかがえますね。

貿易会社

石油を扱う貿易会社のイメージ画像

終戦後は、ペニシリンなどを扱う闇市で財を成し、医薬品を皮切りに石油を扱う貿易会社を複数経営しました。

当時はまだ珍しかった中東との貿易に注目。

エジプト、サウジアラビア、クウェートなど、アラブ諸国の要人と太い人脈を築いていきました。

先見の明と行動力を感じさせるエピソードです。

30代という若さで関西経済同友会の幹事を務めるほど、ビジネスの世界で存在感を示していました。

こうした父親の影響を受け、小池百合子氏は裕福な環境で育ちました。

衆議院議員総選挙に出馬

国会議事堂の外観

1968年、小説家から政治家へ転身した石原慎太郎さんの選挙に関わることになります。

「日本の新しい世代の会」という政治団体の関西地区責任者に就任し、選対の指揮を執りました。

翌1969年、勇二郎さん自身も旧兵庫2区から衆議院議員選挙に無所属で出馬

当時、小池百合子さんは高校1年生でした。

しかし、選挙結果は惨敗。

7000票と得票数は伸びず、落選となりました。

百合子氏は、この選挙について

アルジェリア情勢を語る演説では勝てるはずがなかった

と回想しています。

日本の選挙でアルジェリア情勢を語っても、支持は得にくかったでしょう。

会社の倒産

倒産のイメージ画像

政治に夢中になり過ぎた代償は大きく、経営していた会社は1971年頃に倒産。

債権者が自宅に押し寄せる事態となり、小池家は芦屋から東京へと移ることになりました。

この転機は、百合子氏が高校から大学進学を控えた時期。

家族にとって、人生の大きな試練となりました。

当時の小池家が夜逃げのように東京へ移ったというのは意外ですね。

エジプトにレストラン「なにわ」開店

日本食レストランのイメージ画像

倒産後、勇二郎さんは持ち前のバイタリティで再起を図り、家族とともにエジプト・カイロに渡ります。

かつての人脈を活かし、日本食レストラン「なにわ」を開業

現地の日本人ビジネスマンを中心に、人気を集めました。

しかし、この店も長くは続かず、百合子さんがカイロ大学に留学中に倒産。

度重なる挑戦と失敗の中でも、再び立ち上がろうとするその姿勢が印象的です。

小池百合子の父・小池勇二郎のその後と最期

小池勇二郎さんはカイロで「なにわ」を経営していましたが、これも小池百合子さんのカイロ大学留学中に倒産しています。

それでも勇二郎さんは20年以上にわたってアラブに留まり、現地での人脈を大切にしてきました。

パーレビ元国王やその王子なども彼のレストランを利用していたといいます。

最終的に日本に帰国した晩年になってからのこと。

2013年5月24日に90歳で亡くなりました。

死因は心不全だったといいます。

まさに大往生といえる人生だったといえるでしょう。

この4ヶ月後に百合子氏の母親・恵美子さんも亡くなられています。

小池百合子のFBのスクショ

2015年、両親の遺骨をカイロで散骨した、と百合子氏が報告していました。

小池百合子の父・小池勇二郎の経歴に関するQ&A

小池百合子と愛犬

小池百合子氏については、「父親はどんな人?」「どんな仕事をしていたの?」「なぜ中東に行ったの?」といった疑問が多く検索されています。

ここでは、実業家として成功と挫折を繰り返した父・小池勇二郎氏の経歴を、Q&A形式でわかりやすくまとめました。

小池勇二郎さんはどんな人物?

戦中は海軍中尉を名乗り、戦後は実業家として成功した人物です。
石油ビジネスや貿易で中東諸国と深い関係を築き、「国際派ビジネスマン」として知られていました。

海軍中尉というのは本当?

本人がそう語っていたものの、専門部卒業から終戦までの期間を考えると、昇進スピードが不自然だと指摘されています。
いずれにせよ、戦中を生き抜いた経験が勇二郎氏の行動力の源だったといえます。

どんな事業で成功したの?

医薬品の輸入から始まり、のちに石油関連事業へ拡大。
アラブ諸国の要人と信頼関係を築き、関西経済同友会の幹事を務めるほどの実業家でした。
大胆で先見性のあるビジネス展開が特徴です。

政治にも関わっていたのですか?

はい。1968年の石原慎太郎氏の選挙で関西選対責任者を務めた後、1969年に自らも衆院選に出馬しました。結果は落選しましたが、この経験が百合子氏の政治観に大きな影響を与えました。

その後はどうなったの?

経営していた会社が倒産し、家族とともにエジプトへ移住。
現地で日本食レストラン「なにわ」を開業しました。晩年は日本に帰国し、2013年に90歳で逝去。波乱に満ちた一生を全うしました。

まとめ

小池百合子氏の父・小池勇二郎さんについて、お伝えしました。

波瀾万丈な人生を歩んだ人物でした。

成功と失敗を繰り返しながらも、情熱と行動力は最後まで衰えませんでした。

その姿は、現在の小池百合子さんの原点でもあります。

国際感覚や決断力、行動力といった資質は、間違いなく父親から受け継いだもののようです。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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この記事を書いた人

はじめまして、青木さとみです!
 
沖縄在住の歯科衛生士です。
気になった政治家の情報について
お伝えしていきます。

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