馳浩のwiki学歴経歴|星稜高校出身で小3の時にりんご農家の親戚へ養子に!?

馳浩の学歴や経歴に関する記事のアイキャッチ画像

現在、石川県知事として活躍する馳浩氏。

2024年1月の能登半島地震で、その手腕が注目を集めています。

今回は、節目ごとに大胆な転身を重ねてきた馳浩氏について、経歴と人物像を整理してお伝えします。

この記事でわかること
  • 馳浩氏の生い立ちと家族背景
  • 小中高から大学までの学歴と、レスリングに進むきっかけ
  • 高校教師からプロレスラーへ転身した理由
  • プロレスと政治の両立、国会議員・文科大臣としての主な実績
  • 石川県知事として注目された2024年能登半島地震での対応

どれかひとつでも気になった方は、ぜひ最後までチェックしてみてください!

目次

馳浩のプロフィール

馳浩のプロフィール
馳浩のプロフィール

名前:馳 浩(はせ ひろし)

生年月日:1961年5月5日

出身地:富山県小矢部市

身長:183cm

血液型:A型

最終学歴:専修大学

前職:高校教員・プロレスラー

元プロレスラーで現在は石川県知事を務める馳浩氏。

富山県の農家(川辺家)に三男として生まれ、8歳で金沢市のリンゴ農家(馳家)の養子となりました。

初婚はサンボ格闘家・ビクトル古賀の長女・仁美さんでしたが、短期間で離婚。

1995年に高見恭子さんと再婚し、1997年に長女・鈴音さんが誕生しています。

夫婦は2015年に「いい夫婦パートナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。

娘の鈴音さんは都内の企業に勤めながら、父の政治活動も熱心にサポートしています。

母譲りの美貌と長身を活かし、選挙活動では頼もしい存在として知られています。

馳浩の学歴

馳浩の学歴は?

馳浩氏の学歴は

小学校:金沢市立千坂小学校
中学校:金沢市立鳴和中学校
高校:石川県立星稜高等学校
大学:専修大学文学部国文学科

となっています。

それでは、詳しく見ていきましょう!

金沢市立千坂小学校

馳浩は金沢市立千坂小学校の出身

馳浩氏は、金沢市立千坂小学校を卒業しています。

農家の三男として生まれ、父親は農業の傍ら内職で金沢金箔の箔打ちや瓦工場で働いていました。

幼い頃から野山を駆け回り、川を泳いだりと活発な少年だったそうです。

人生の転機となったのは、小学3年生の時でした。

石川県金沢市のリンゴ農家である親戚の馳家に養子として迎えられることに。

養子縁組のイメージ画像

わずか8歳の馳少年は、自身の将来をこう考えました。

「兄が2人いるから、家も田んぼも分けてもらえないだろうな」

「養子に行けば、自分が後継ぎになれる」

そう決意し、新しい環境に飛び込んでいきました。

そのため、もしかしたら入学した小学校は他の学校かもしれません。

小学校3年生で将来のことをこんなに深く考えられるなんて信じられないですよね。

金沢市立鳴和中学校

馳浩は金沢市立鳴和中学校の出身

金沢市立鳴和中学校に入学した馳さんは、まず剣道部に入部します。

しかし、中学2年生の時、廃部となっていた相撲部を復活させ移籍しました。

この頃から、抜群の運動神経を見せ始めていたそうです。

中学2年生のときには、もう一つの重要な出来事がありました。

国語が得意だった馳さんは、国語の先生に憧れ、将来は教員になろうと決意したのです。

星稜高等学校

馳浩は星稜高校出身

高校は、野球の名門として知られる星稜高校に進学します。

当初は相撲を続けるつもりでしたが、相撲部がなかったため、剣道部に入ろうと考えていました。

しかし、運命的な出会いが待っていました。

剣道場に向かう途中、レスリング部の先輩たちに声をかけられたのです。

「面白そうだな」と見学に行ったところ、その場で入部届に名前を書かされ、翌日から先輩が迎えに来るように。

この”強引な勧誘”が、馳氏の人生を大きく変えることになります。

実は、高校3年生で国体優勝という快挙を達成したんです!

専修大学

馳浩は専修大学出身

馳氏は、専修大学文学部国文学科に進学します。

大学ではレスリング部の主将を務める一方で、国語の教員免許も取得しました。

様々なアルバイトも経験し、家庭教師や地下鉄の資材運び、映画のエキストラまで。

レスリング部の合宿代や遠征費は、全てアルバイトで賄ったそうです。

文学にも造詣が深く、「古今和歌集」や「源氏物語」を毎日読んでいたといいます。

馳浩の経歴

馳浩の経歴は?

馳浩氏の経歴は

1984年4月:星稜高校国語科教諭に就任
1984年8月:ロサンゼルスオリンピック レスリング・グレコローマン90kg級に出場
1985年:ジャパンプロレスに入団
1987年:新日本プロレスに移籍
1995年7月:第17回参議院議員通常選挙 初当選(石川県選挙区)
2000年6月:衆議院議員選挙 当選(石川1区)
2003年9月:文部科学大臣政務官に就任
2005年11月:文部科学副大臣に就任
2006年8月:プロレスラーを引退
2015年10月:文部科学大臣に就任(~2016年8月)
2017年8月:自由民主党教育再生実行本部長に就任
2020年11月:専修大学レスリング部名誉監督に就任
2021年10月:衆議院議員を任期満了で退任
2022年3月:石川県知事選挙に初当選
2022年9月:日本維新の会顧問に就任

となります。

失礼ながら、筆者はプロレスラーのイメージしかなかったため驚きが隠せません。

高校教員

馳浩の高校教師のイメージ画像

1984年、大学卒業後は母校・星稜高校の国語科教師となります。

そして同年、教師をしながらロサンゼルスオリンピックのレスリング競技に出場しました。

ライトヘビー級に出場しましたが、残念ながら予選敗退でした。

プロレスラーへ転身

馳浩は教師からプロレスラーに転身

1985年、馳氏は教師を辞め、プロレスラーに転身します。

ジャパンプロレスでデビューし、1987年には新日本プロレスに移籍。

「ノーザンライト・スープレックス」を必殺技とし、IWGPジュニアヘビー級王座などを獲得しました。

プロレスラーとしての馳氏の特徴は、その知的な話術にもありました。

リング外では鮮やかな弁舌で、文学論やスポーツ論、教育論を展開し、人気を博しました。

国会議員

馳浩は1995年に政界進出

馳浩氏の政界進出は1995年、34歳の時でした。

当時の自民党幹事長・森喜朗さんの熱心なスカウトがきっかけです。

第17回参議院議員選挙に石川県選挙区から自民党推薦の無所属で出馬し、初当選を果たしました。

2000年には衆議院議員に転身し、石川1区から当選

以後、文部科学大臣政務官副大臣を歴任していきます。

2015年には文部科学大臣として入閣を果たし、教育改革に取り組みました。

石川県知事

馳浩は2021年に石川県知事に当選

2021年、大きな転機が訪れます。

衆議院議員を任期満了で退任し、石川県知事選への出馬を表明したのです。

2022年3月の知事選では、元金沢市長の山野之義氏ら4候補を破り、見事初当選を果たしました。

知事就任後は、観光振興や教育改革に力を入れていましたが、2024年1月1日、大きな試練が訪れます。

能登半島地震の発生です。

甚大な被害を受けた被災地の復興に向け、馳氏は陣頭指揮を執っています。

2024年1月1日の能登半島地震で指揮をとる馳浩

特に被災者の2次避難に関して、行政手配の避難所は無料であることを強調し、積極的な避難を呼びかけました。

また、日本維新の会の顧問も務めながら自民党籍を保持するという、独自の政治スタンスも注目されています。

教育者、プロレスラー、政治家という異色の経歴を持つ馳知事。

その経験を活かし、災害からの復興と石川県の発展にどう取り組んでいくのか、今後の手腕が注目されています。

地元メディアからは「具体性に乏しい」との指摘もある一方、永田町では「話が分かる」「調整力がある」と評価されています。

震災対応の初動の遅さを指摘する声もありましたが、今後の復興に向けた取り組みが期待できますね。

馳浩の学歴や経歴に関するQ&A

前例のないキャリアを歩んできた馳浩氏。

馳浩氏についてもっと深く知りたい、という読者の疑問にまとめて答えるQ&Aです。

馳浩氏の出身地と生い立ちは?

石川県金沢市で生まれ、幼少期からスポーツ万能で知られていました。
家庭環境は堅実で、学生時代は文武両道の生活を送っていたことが特徴です。

レスリングに転機が訪れたのはいつ?

高校でレスリングに本格的に打ち込み、大学でも全日本学生王者として活躍。
教師として働き始めてからも競技への情熱は衰えず、プロへの道を模索するようになります。

なぜ高校教師からプロレスラーへ転身したの?

教育現場に立つ一方で「挑戦を諦めたくない」という思いが強まり、アスリートとしての可能性を広げるべくプロレス界へ飛び込みました。
教員免許を持つ異色レスラーとして話題にもなりました。

政治家になった理由は?

スポーツと教育の現場で感じた課題を政策として実現したいという意図から政界に入りました。
文部科学大臣として教育改革にも関わり、長年スポーツ行政の中心で活動しています。

能登半島地震で注目された理由は?

2024年1月の能登半島地震では、知事として即応姿勢を見せ、現場優先の判断が全国的に評価されました。
地元出身ならではの視点で復旧に奔走したことが話題です。

まとめ

馳浩氏の歩みを振り返ると、教育・スポーツ・政治という三つの世界を真剣に生き抜いてきた人物像が見えてきます。

どの場面でも責任を持ち、必要な時には前に出る姿勢が一貫していることが印象的です。

石川県知事として迎えた能登半島地震では、地元への強い思いが判断の速さにつながり、多くの人から信頼を集めました。

今後も現場に寄り添う姿勢を軸に、地域の再生と発展にどのように向き合うのか注目したいところです。

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この記事を書いた人

はじめまして、青木さとみです!
 
沖縄在住の歯科衛生士です。
気になった政治家の情報について
お伝えしていきます。

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